人間としての動作
9/19、火曜
本日は夜走りに行く。
50km,up500m
30km周回:64min48sec/189w(np260w/max781w)/84rpm/-bpm
心拍数計壊れたかな。これは2本目だけど、ガーミンのものは壊れやすいな。
朝は満員電車の時間は運良く免れてるので、久しぶりに本気の満員電車で帰宅。
自然体で立つ事も、自由に呼吸する事もままならない。
命綱の様に吊革を握り、脚の末端は窮屈な姿勢で痺れている。
クレイジーすぎる...
と思ってハッとした。
朝の新宿駅階段に辿り着くまでの混雑。止まりそうなスピードで、ノソノソと秩序的に上る列には機械的な美しさすらある。
秩序的であり、機械的。自分のペースでは歩け無い。上り切ってから改札まで、今度は混沌としている。
お互いぶつかっているのに、大して気にするわけでも無く。それでいてまっすぐ進む事はおろか、自身の歩幅、ペースでは歩くことが出来ない。
こんな毎朝の当たり前に疑問を持つ事が出来なくなっていた。大袈裟かもしれないが、そんな自分に戦慄した。
都会は全ての感覚を鈍麻させる。
「人間として当たり前の動作が出来ない」ことに当たり前の様に疑問を持たなければ出来ないはずだのに、それが出来なくなってしまう。
確かに日々そこに不満を持っていたらストレスで狂うだろう。しかしながら、たまには気にしなければならない。感情や思考を失わない為の砥石が必要だ。